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去年の6月でしたか。
カナダで嫁いだ友人が久々に帰省したので、久しぶりに会って積もる話をした時のことです。その友人にもふーちゃんと同年代のワンがいて、互いのワンの老化ぶりや、今後のことが話題になりました。
ゴメン言えない…(T_T) ああいや、まじめな話ね。
「うちはたぶん、今年中に見送ることになるだろうな」
と、彼女は言いました。話を聞くとカナダでは
飼い主が『今まで出来ていたことができなくなった』と判断したら最後の決断をしてやるのが一般的なんだそうです。
食事、歩行、排泄。
それが自力でままならなくなった時が決断の時。そうすることでワンの尊厳を守ってやるという考え方。
もちろん、平気でそんなことが出来るオーナーなんていないよ。
飼い主にとって、最も辛い決断。
だけどそれが、オーナーの最後の努めなんだ。
それが出来なければ犬を飼う資格なんてないんだ。
言うか言わないかのうちに泣き出した彼女。
真昼間の恵比寿のパスタ屋で、いい歳した女二人、人目もはばからずオンオン泣きました。
一方、去年の12月。
私が尊敬している義理の姉は、全く逆のことを言いました。
どんな動物も老いる。
それが見てられないほどかわいそうだったとしても、それを最後まで見届けてやるのがオーナーの努め。
それは、手取り足取り介護をしながらという意味ではなく、今まで出来ていたことが出来なくなったり、だんだんと弱っていっても、辛かろうがきっちりと見届けてやるのが飼い主の努め、という意味だったと思います。義姉は、おじいちゃん獣医さんにそう言われ、数年前にそうやってワンを見送ったそうです。その後は3年程引き摺ったと言っていました。
残された時間がわずかだと知った時、自分はオーナーとしてどう振る舞うか?先に書いた2つの話は両極端でどちらも辛い話だし、正解はない。でも、できれば心の片隅で漠然とでも考えておいたほうが、見送った後の後悔が少ないかもなと感じました。これは老いていくワンに限った話ではなく、命に係わるような病気や怪我をした時も同じだと思うんですよ。
結局私は、どっちつかずでした。
我が家の環境を踏まえての考え方としては、どちらかといえばカナダの友人よりでした。けど、結局私がしてたことは、義姉が言っていたことに近かった。
「これってもしやもう決断するべき状態?」と思ったこともあったけど、朝になれば目覚め、シリンジを口元へ運べば水を飲み、顔を寄せればキスしてくれるふーちゃんを見てて、とてもその状態とは思えなかった。最後の数日は、ここまで来たのだから何も今さら人の意志でどうこうしなくても、なんて思ってた。
旅立ち前の1ヶ月くらいの間、自宅でも点滴していたふーちゃんは私には穏やかそうに見えてました。だけど、もしかしたらあの時本当は辛かったのかも…、なんてことを今でもグルグル考えてしまうのは、「自分の考え」と「行動」がちぐはぐだったせいじゃないかって思うんですよ。